いやはや皆様お久しぶりです。
2月に語学学校を卒業した記事を更新したっきりずっとバタバタしておりました。
あの、本当に忙しかったんです。本当なんです!
(本当だと主張するほど疑わしくなる不思議)
頑張って3月から順を追って整理するから許してください。
3月
ビザの切り替え(日本一時帰国)
2月に語学学校生活を終えた私ですが、私が学校を卒業した=学生ビザが切れる なので
新たなビザの申請が必要だったんです。
学生ビザからワーキングホリデービザに切り替えるには
一度オーストラリアを出国する必要があるのでしばらく日本に帰国していました。
手続きだらけで疲れた〜!元公務員なので行政の手続きには全く抵抗ないですが、
官公庁という空間そのものや仕組みはやっぱり好きじゃなかったです。
「ビザ申請するだけで6万も取んな~!」
とオーストラリア政府にも文句言い散らかしていましたが、めちゃくちゃ審査早かったです。
全部オンラインで終わるしもちろん手数料の支払いもクレジットカード決済。
むしろ日本で書類をそろえるプロセスが一番面倒でストレスフルでしたね。
申請書ぜんぶ手書きなの本当にヤバい、おてて無くなるかおもたよ。
夫の転職
さて、無事に私は新しいビザを獲得して日本を満喫していたわけなんですが、
その間に夫のビザの関係でブリスベンから引っ越しました!
夫はワーキングホリデービザで入国しているのですが期限は入国から1年間。
となるとその先のビザをなんとかしないとオーストラリアには引き続き滞在できないわけです。
選択肢としてはざっくり3つ。
①ワーキングホリデービザを延長する
②スポンサーを探し、就労ビザをおろしてもらう
③学生になる(学生ビザを申請する)
このうち夫は②を選び、シェフとして働くことが決まりまったため、
私が日本に帰国している間にブリスベンから新しい職場があるサンシャインコーストにお引越し。
距離的にはブリスベンから高速ぶっ飛ばして1時間半ぐらいの距離です。
引っ越したのはいいんですけど、ある日夫から連絡がありました。
「来週からパイナップルを育てます!」
・・・・・・?
え、シェフってパイナップル育てるんだっけ?
なに?とんでもなくパイナップルへのこだわりが強いレストランなの?
※違います
なんか私が日本帰ってる間に
色々あって夫がファーマーになってた。
どうやらスポンサーの雲行きが怪しくなり、ワーホリビザ延長の方に方向転換したらしい。
ワーホリビザの延長は人員が不足している農業や炭鉱業、災害復興業などに従事し、
所定の時間数働いたら申請できるよ!という仕組みなのです。
もうね、知らん間に知らん土地で夫がパイナポーファーマーになってるの
普通に意味わからんくておもろかったです。
4月上旬
オーストラリア再入国
というわけで4月に再入国した私は
引っ越し後の知らん家に帰るわけなんですが
新しいおうちはシェアハウス!
人生初のシェアハウスです!!!!
私たちと一緒にイギリス人おじさまが住んでる。
というか、おじさまが住んでるところに私たちが住まわせてもらっている。
このあたりとてつもなく家が高い上に、めちゃくちゃ広くって2人だと持て余すんです。
家賃が週$1,000(約40万/月)で4ベッドルーム2シャワーみたいな。ベッドルーム4つもいらん。
そんなこんなでシェアハウスに住むことにしました。
ちなみにシェアハウスの家賃は
週$650(約26万/月)です。
シェアハウスでそんなにするの!?
と思われる方もいるかもしれませんが
単純にいいシェアハウスに住んでいるからです。
シェアハウスといっても本当にさまざまで
自分1人のベッドルームはあるけど、
バス・トイレ・キッチンは共用とか
ベッドルームにトイレだけはついてるとか。
本当に色々です。
我が家はベッドルームとは別に私たち用のバスルーム(トイレ付)があるので
めちゃくちゃ快適に生活しています。
それに一緒に住んでいるイギリス人おじ、
マットはめちゃくちゃ陽気でかわいい。
バナナのことバニャニャ♪ パパイヤをポウポーウ!ってご機嫌でゆーてたときには
「なんだこの可愛いおっさん・・・」となりました。
ブリティッシュアクセントが聞き取りづらくて
1ミリも理解できないときあるけど。
引っ越してしばらくは「家にハイパー他人がいる」という状況に慣れなくて
出来る限り物音を立てないように気を使ったり、
逆に物音がすると「はっ!そうだ人いるんだった」とストレスでしたが、
マットはなーんにも気にしないし面倒見のいいパパみたいな人なので気にならなくなりました。
決してマットが夜中に洗濯回したり、早朝にサッカーの試合見てFxxkin’ idiot! (ゴミカス!)と
叫んでいる腹いせに朝6時半からうるせぇダイソンで掃除機かけたりしてるわけではありません。
※マットはとてもいい人です
4月下旬から5月上旬
祖母の他界
オーストラリアに再入国して数週間後、祖母の危篤そして他界の連絡がありました。
3月の一時帰国中に顔を見た祖母。もうずっと施設にいたし、状態が良くないことは聞いていたので
「次の帰国はいつになるかわからないから会うのは最後かもしれない」と思ってはいましたが、
やはり目の前にその時がやってくると受け入れがたいものですね。
急ぎで航空券を手配して夫と2人で緊急帰国。
いつもよりいい航空会社で帰ったから浮足立っていたのは内緒ですよ。
約1週間の滞在でしたがせっかく祖母が夫婦での帰国の機会をくれたので
たくさんの人に会いに行き、お互いの家族とも過ごすことができました。
こんな感じでここ数か月の私生活がミニオンズぐらいカオスでした。
正直こんな短いスパンで転居、転職、喪失などの変化があるとストレスにめっぽう弱い私の身体は
「デンジャーデンジャー!」とありとあらゆる手を使って不調を訴えてくるのですが、
どれもこれも新しい縁や元ある縁への感謝を感じさせてくれるいい経験ばかりでした。
一気に来ないでほしいけど。
ようやっと記事に出来てよかった~
私の生存を危ぶんでいた方、ご心配をおかけしました。
ちゃんと生きてるしギリギリ元気です!
そうそう、ちゃんと仕事もしてます。
現在のお仕事はライターとレストランのキッチンとAI(人工知能)のトレーナー。
もうなにしてる人なのかわからんよな、私もわからん。
やっとそれぞれの仕事に慣れてきたので他のこともやってみようかな~と画策中です。
でも実はいまもう一つバタついてる。
人生がバタついてる。
それについてはまた次の記事で。